デジタルガーデンと個人サイトを育てること。

デジタルガーデンと個人サイトとインターネットの未来

個人ブログとDigital Garden

去年からTwitterが崩壊しつつある中、個人ブログや個人サイトについて調べているうちに、
デジタルガーデンということばをよく海外のメディアで目にするようになった。

色々調べていて、そこそこイメージが固まってきたので軽く備忘録がてら
まとめておこうかなと。

デジタルガーデンとはあくまでゆるい概念のようなものなので
はっきりした定義があるわけじゃないけれど、
大まかなDigital Gardenの歴史や概要は、ここに詳しいので読んで損はないかと。

 

ずいぶん昔のこのブログも興味深かった。

これをみると、
・投稿を時系列に並び替えることへの抵抗
・キュレーションの重要性
・「非パフォーマンス的なブログ」
という部分が印象に残る。

時系列的なポストが嫌な人って、
けっこう多いんだなという印象。
たしかにブログも昔の記事は全然読まれないし、
読む方も書く方も、確かに良いことない気は前からしていた。

 

僕も実際に個人サイトを作っている。

僕自身、家でミニガーデニングに近いことをたまーにやったりしているけれど、
ここ数か月、自分のウェブサイトをいじくり続けていると、
それこそ庭いじりや土いじりに近い感覚なんだろうなというのがよくわかる。

そもそも自分の庭って、わざわざ他人に見せびらかすというよりは、
常に手入れして自己満足するようなもの。

個人 サイトを常に変化する風景のようなものとして、
アイデアを公の場に置いておくようなイメージで。

インターネットという空間で土地をつくって維持し、
見にきてくれる人にだけ見てもらえればうれしいし。
(僕のは見せられるような庭じゃないけれど)

ただそれだけの話なんだろうなと。

 

他にもデジタルガーデンについて調べて印象に残った海外のページをいくつか。

The Garden and the Stream: A Technopastoral

 

Web へのさまざまなアプローチを表す 2 つの用語、
「Garden(庭園)」と「Stream(小川、流れ)」について書いているこの記事も面白い。

庭園が統合的であるのに対し、川は自己主張的。

流れるSNSに対して、
どっしり構えた庭があるイメージなんですかね?

「川に対する庭」と考えると、
本来のウェブサイトの役割が改めて見えてくるような。

庭園の例として、
日本庭園が示されていることが少なくないのが、
日本人としてなんか興味深いなぁと。

デジタルガーデンと個人サイトとインターネットの未来

 

長年デジタル ガーデンを育ててきたらしい、トム クリッチロー氏の説明も面白い。
昔ながらのブログとデジタル ガーデニングの主な違いについて。

「ブログでは、大勢の聴衆に向けて話すことになる」
「デジタル ガーデニングでは、自分自身と対話している。時間をかけて育てたいものに集中するのだ。」

 

デジタル ガーデンの重要な点として、
成長と変化が可能であり、
同じトピックに関するさまざまなページが共存できることだ、とも書いてあったり。

 

日本庭園は「完成しない芸術」といわれることがあるけれど
(京都にいるとよく耳にする)、
まさにそんなイメージなのかも。

庭という空間は、
一か所にいろんな種類の植物が生きているし、
ウェブのコンテンツもそうあるべき。

ライフログだと自分の記録に集中する感じで、
ブログだと主張が強く、プッシュするイメージ。

デジタルガーデンはその中間で。
いろんな情報を公の場においておき、
それをリンクさせたり、新しい風景を形作っていく。

今のところ、自分の中のデジタルガーデンはそんな概念かな。

 

だいぶポエミーな記事になったけれど、
デジタルガーデンについてはそろそろこの辺で。

またなんか思いついたら書いていこうかなと。

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マイクロブログの思想をまとめた「Indie Microblogging」を読んだ感想

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nejimaki
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